北海道単身旅へ出た実母から届いた蟹。海鮮鍋にしようと目論みました。

豊潤な出汁を吸った白菜は絶品です。この日の野菜は、東久留米卸売市場にて。
この日の調達サイクリング往復で53km。しっかりと食卓で報われ、いい運動です。

さて、我が家では日々の営みの聞き取りは食卓において定期的に開かれます。
年頃である子は放談するに限ります。親とほとんど話さなかった自分からすれば、不思議なことです。
話したくなくなったら、自然と言葉数は減るでしょう。「聞き取り」と言っても、取り調べではないので、無理強い、深追いはしません。
もし何か発したくなったら、ここで思う存分どうぞという場を用意しておけば、言葉を出しやすいと思います。その機能を「我が家の食卓」が果たしています。

この海鮮鍋食卓でもいい出汁のせいか、言葉が積まれていきました。時代に関係なく年頃の悩みは尽きないものです。

方々からあれこれ求められて、全てうまくやろうとする質(たち)を横目で心配しつつ、達観して眠りにつき、朝を迎えて出かける日が続いていることに平安を覚えています。

他者との関係性の中で過ごすのだから、ままならないことの方が多いのです。どう自分と折り合いをつけるのか。ただただ難儀なことだと終始するのではなく、充実した時間となる可能性は皆無ではないことにも気づいていってほしいものです。

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